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哲学入門

実体の観念は成立したがそれを最高我と呼ぶことは成立しなかった

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インド哲学の主要傾向は汎神論的であると、しばしば主張されている。たとえばウパニシャッドの哲人シャーンディによると絶対者ブラフマンは『思惟の真実なる者』『意図の真実なる者』であり、自己の思惟・意欲がそのまま現実に実現されるのである。それは『一切の行為をなし』『一切の欲望を具え』『欲するがままの相を現するもの』である。したがってそれは、一切の香を有し、一切の味を有する。

西洋の哲学者の間ではスピノーザなどの一元論哲学者に見られるように、〈実体〉の観念は成立したが、それを〈最高我〉と呼ぶことは成立しなかった。それは西洋思想史においては、個人存在のうちに潜む主動的原理を〈精神〉、〈霊魂〉として捉えることはしばしばなされたが、〈自己〉と呼ぶことが稀であったのに対応している。

それは無限大であり、『万有に遍在していて』『意のごとく速やか』であり、『一切の方角にわたって支配している』という。ところで、絶対者をこのようなものとして把捉するということは、かならずしもシャーンディリヤのみの独自の哲学説ではなかった。現にわれわれは、古代ギリシアのエレア学派のクセノパネースの「神」の観念も、著しくこれに類したものであることを知っている。

自己の思惟・意欲がそのまま現実に実現される

シャーンディリャが、絶対者は、自己の思惟・意欲がそのまま現実に実現される、と考えたのに対して、クセノパネースによると、『神は労することなく心(nous)の思いもて凡てのものを揺り動かす』。クセノパネースによると『神は」全体として見、全体として考え、全体として叫と主張したという。そうしてシャーンディリヤが、絶対者は『意のごとくに速やか』であると言ったのに対して、クセノパネースは、知隷は人間あるいは馬の力に鶴と説いたという。

シャーンディリヤが、「ブラフマンは万有に遍在している」と説いたのに対して、クセノパネースは、『神は少しも動くことなく、常に同じところに止まっている。或いはここへ、或いはそこへと歩き廻るは神にふさわしきことではないと断言した。

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