哲学入門

唯物論者によると

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唯物論者によると、身体を構成している物質的なものが基本的な原理であるが、たしかわれは身体を失えば、一切の精神機能は消滅してしまうから、その意味では唯物論は絶対的義をもっているように思われる。しかしわれわれに〈自我の自覚〉というような精神的な作用の成立する所以を、唯物論はどうしても説明することができない。

仏教によると、愚味なる凡夫はこの身体をわがものであると解している。神々といえども、なおこのような見解にとらわれていて、そのために輪廻の範囲に流転し、なお苦悩を脱しえない。ところが人間は、ときに身体が傷つけられるのを承知の上で、何事かを実現しようとすることがある。

このような見解を、初期の仏教徒は『自己の身体を執する見解』(sakkayadithi)と呼び、これを捨てることを教えているのである。したがって初期の仏教徒は「非我」(自己に非ざるもの)とくに「身体」を、アートマンあるいはわがものとみなしてはならぬということを、主張しているのである。また身体の一部分を失っても、なお生きてゆくことができる。だからこの見解は、自己の問題について完全な答えを与えたことにはならない。

自我の自覚が何故に現われ出るか

インドの唯物論者たちは、身体から精神が現われ出るのは、穀物が酸酵して酒を生ずるようなものであると説明し、それでよいとしても、物質から〈自我の自覚が何故に現われ出るかということを説明し得ない。

われわれが苦痛や快感を感ずるのは肉体をもっているからであるが、苦痛や快感を感ずるのは〈意識において〉なされるのであって、ただ物質を寄せ集めただけであるならば、苦痛や快感を意識するという現象は起こらない。

〈物質〉というものが想定されるのは、それを意識する自己があるからこそである。物質を物質として意識し理解するところのものは、〈精神〉である。そこで常識的見解あるいは唯物論者の見解から発しながらも、さらにつき進んで〈自己〉をもとめなければならない。

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