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優しい男に対する女性の評価

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世の多くの男性は、女性に対しては「ひたすらやさしい男」を演じようとする傾向がある。たいして重そうでもない荷物を持ってやる。クルマのドアを開けてやる。しまいには、エスカレーターの乗り日で手を取ってろうとする。そんないたれりつくせりのやさしさを見せたうえで、こんな常奪句を吐く。

「泣きたかったら、ここで泣いていいよ」「つらいことがあるんなら、僕に話してみないかな。僕が、全部聞いてあげるから」そういうやさしさを向けられた女性たちは、どのように感じているのだろうか?じつは、それらに対する女性の評価はきわめて低い。「下心がミエミエ」と言う女性もいれば、「自分が優位に立とうとしている」と言う女性もいる。

マーロウの事件屋稼業は、強くなければつとまらない仕事だ。日々、危ない橋を渡って、暴力と銃弾の中をくぐり抜けている。そんな暴力に満ちた人生の中で、マーロウは、自分をいましめるために「やさしくなければ生きる資格はない」と言った。強すぎるだけではいけないのだと。

やさしい男という方向の選択は

作家のレイモンド・チャンドラーは、自分が作り出した最大のヒーローであるフィップ・マーロウに、「やさしくなければ生きる資格がない」というセリフを吐かせた。だが、この言葉だけをつまみ取ろうとすると、大きな誤解を生むことになる。

「やさしい男」という方向の選択は、女性の目には、「それしかできない」という自信のなさの表れに映る。この方向を選択している男性は、ちょっと胸に手を当てて考えてみてほしい。もしかしたら、それは、自分に対する自信のなさが源になっているのではないかと。

女性心理の奥には、大前提となる共通の評価があるように思われる。それは、「その手の男のやさしさほど簡単なものはない」ということだ。何の能力もない男にも、何の知識もない男にも、やさしい男、を演じることだけはできる。それは、そうだろう。一〇〇メートル走で二〇秒が切れないような男でも、新聞の一面を読んだことがないような男でも、「僕のそばで泣いていいよ」と言うことだけはできるのだから。

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