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哲学入門

真実の絶対者は一切の実在性を自己のうちに含むもの

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真実の絶対者は一切の実在性を自己のうちに含むものであり、したがって有限者に対立するものではなく、むしろあらゆる有限者を自己のうちに包括するものでなければならた真実の絶対者は有限者を自己のうちに含むものとして考えられた無限者、真無限、である。

へーゲルは決して個人の問題を無視していたわけではない。個と全との対立の問題を当然のこととして考えている。『へーゲルによれば、有限者を超越し有限者から断絶した絶対者というごときものは実は真の意味において絶対者といわるべきものではない。何となればかかる絶対者にとっては有限者はその外部に存在すると考えられなければならないが、かく有限者を自己の外部に有するものとは単に有限者に対立するものであり、したがってそれ自身一つの有限者に外ならないからである。

真無限は無限者と有限者との対立、すなわち悪無限と有限者との対立を越え、この両者を自己のモメントとして含んでいるところのものでシ無限者はそれ自身においてすでに無限であると同様に有限。

精神は歴史全体を貫いて存在する

ところで、かれによると、絶対者すなわち精神は歴史全体を貫いて存在する。歴史性をいうことは絶対者の本質である。へーゲルにあっては歴史というものが哲学の中心課題であり、神は世界精神として現われる。

へーゲルの場合の自由とは、人間各個人の実践的事実としての自由ではなくて、精神あるいは神自身の自由である。特にかれの哲学においては、人間理性の内在的生活活動において、国家は最高の地位を占める。

世界歴史というものは、現実には、人間自身の営みの世界である。個々の人間は必然性によって決定されてしまうという側面のあることは否定できないが、しかしそれにもかかわらず、人間各個人は、何をなすべきかという行為の決断を自由になさねばならない。

国家は道徳的理念の実現であり、可見的となった民族精神で、むろん国家の目的は、それの包む小さな諸々の社会や個人の支持なくしては実現され得ないということを、かれも承認してはいたのであるが、かれは、それを重んじなかった。したがってへーゲルの理性的思惟に対する反援は、当然、反普遍、すなわち個別の尊重となる。

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