スポーツブログ

色々な情報を提供しています。

哲学入門

近代思想の発端は西洋ではわれ考う(われ意識す)ゆえにわれ有り」

投稿日:

近代思想の発端は西洋ではデカルトが「われ考う(われ意識す)。ゆえにわれ有り」といったこの自覚にあるとしばしば主張されている。近代思想における人間そのものを尊重する態度が、やがて哲学的には自我の問題を自覚させることとなったのであろう。

自我の本質がいかなるものであるか、ということを考察して自我を把捉するにあたって、二つの見解が成立する。第一の見解は、〈自我〉とは一つの実体であると解するものであり、第二の見解は、〈自我〉とは、諸心理作用の総括にほかならないと解するものである。第一の見解の、西洋における代表者はデカルトである。かれは、その存在を疑っても疑い得ないところの自我の存在から出発して、考察を展開したが、かれの自我は精神的な実体であった。

自我は否定することのできないものであるという論証は、デカルトのものとして有名である。『私は、それまでに私の精神に入りきたったすべてのものは、私の夢の幻想と同様に、真ならぬものである、と仮想しようと決心した。

必然的に何ものかでなければならぬ

しかしながら、そうするとただちに、私は気づいた、私がこのように、すべては偽である、と考えている間も、そう考えている私は、必然的に何ものかでなければならぬ、と。

『われわれが疑っている間われわれは存在しているということは、疑うことができない』これが、順序正しく哲学するときにわれわれの認識する最初のものである。われわれはただ自我が存在するということだけを知っている。

「私は考える、ゆえに私はある」Jepensedoncesuisというこの真理は、懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かしえぬほど、堅固な確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を、私の求めていた哲学の第一原理として、もはや安心して受け入れることができる、と判断しかれは右の思索の結果を一つの原則のかたちで表明しているようである。

-哲学入門

執筆者:

関連記事

no image

イスラームの学者はデカルトを批判

或るイスラームの学者はデカルトを次のように批判した。デカルトによると、知識が自我の存在にのみ限られているかぎりは、知識の範囲と価値は極度に制限されたままである。なぜなら、あらゆる感官的知覚と数学的論証 …

no image

アートマンなる実体には本来唯一性と雑多性とが存在

シャンカラの伝えているところによると、パルトリプラパンチャはアートマンに関して次のような議論を述べていた。『アートマンなる実体には、本来唯一性(ekatva)と雑多性(nanatva)とが存在する。た …

no image

「我」と「吾」は「自身」「自己」の意味

「我」と「吾」とがつねに厳密に区別されているわけではないけれども、傾向としては、そのように言うことができるであろう。ゆえに往昔のシチの翻訳僧もアートマンの直接の定義は、今日の日本語でいう「自身」「自己 …

no image

自我の自覚から導き出される結論

迷いの無い最高我というものが実際に存在するであろうか?それも抽象的思惟によって構成されただけのものではなかろうか?自我の自覚から導き出される結論は、われわれが〈自我〉とか〈自己〉として自覚するものが否 …

no image

ゴータマ・ブッダはべチレスにとどまっていたのちに

ゴータマ・ブッダはべチレスにとどまっていたのち、かつてさとりを開いた場所であるウルヴェーラーに向って旅に出た。あるとき、かれは道を離れて一つの密林のところに到り、その中に入って一樹のもとに巫した。 そ …