哲学入門

近代思想の発端は西洋ではわれ考う(われ意識す)ゆえにわれ有り」

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近代思想の発端は西洋ではデカルトが「われ考う(われ意識す)。ゆえにわれ有り」といったこの自覚にあるとしばしば主張されている。近代思想における人間そのものを尊重する態度が、やがて哲学的には自我の問題を自覚させることとなったのであろう。

自我の本質がいかなるものであるか、ということを考察して自我を把捉するにあたって、二つの見解が成立する。第一の見解は、〈自我〉とは一つの実体であると解するものであり、第二の見解は、〈自我〉とは、諸心理作用の総括にほかならないと解するものである。第一の見解の、西洋における代表者はデカルトである。かれは、その存在を疑っても疑い得ないところの自我の存在から出発して、考察を展開したが、かれの自我は精神的な実体であった。

自我は否定することのできないものであるという論証は、デカルトのものとして有名である。『私は、それまでに私の精神に入りきたったすべてのものは、私の夢の幻想と同様に、真ならぬものである、と仮想しようと決心した。

必然的に何ものかでなければならぬ

しかしながら、そうするとただちに、私は気づいた、私がこのように、すべては偽である、と考えている間も、そう考えている私は、必然的に何ものかでなければならぬ、と。

『われわれが疑っている間われわれは存在しているということは、疑うことができない』これが、順序正しく哲学するときにわれわれの認識する最初のものである。われわれはただ自我が存在するということだけを知っている。

「私は考える、ゆえに私はある」Jepensedoncesuisというこの真理は、懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かしえぬほど、堅固な確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を、私の求めていた哲学の第一原理として、もはや安心して受け入れることができる、と判断しかれは右の思索の結果を一つの原則のかたちで表明しているようである。

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