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哲学入門

インドの哲学者はアートマンという語を多く用いている

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ギリシア、ローマの哲学者たちはrogspirtusnensあるいはanimaなどの観念をもってそれを把握しようとつとめたのに対して、インドの哲学者は「アートマン」という語を多く用いている。しかし古代ギリシア人の思索が、このような、主体を客観化した術語を以て、しかも〈自己〉を表現している場合が無いわけではない。

近世哲学にいて「次」に対立する「我」(dasch)は哲学の中心問題とされたが、「自己」(dasSebs)は、インドにおけるような重要な概念とはならなかった。インドの哲学者たちは哲学的思索を行なう場合にも、精神作用の主体を「アートマン」(自己)という語で表明する場合が多かった。そうして、精神作用の主体を客体的概念として把捉することを避けている。

「プシュケー」という語が〈自分自身〉を意味していると考えられる場合がある。キリストの語として次のように伝えられている。『だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも(heauoupsykhen)捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。』。ここでは自分を捨てるということが強調されている。

ヘアートマンは「呼吸」「息」を意味する語

ヘアートマンはもともと「呼吸」「息」を意味する語であるから、それに対応するギリシア語はプシュケー(psykhé)である。しかしそのプシュケーは普通は「霊魂」と訳され、またプシュケーはそのようなものとして把捉される傾向が強かったことを示しているが、インドの「アートマン」も霊魂と訳してよい場合が少なくない。だからアートマンの哲学とプシュケーの哲学とには何かしら共通の問題の存することは、これを承認せざるを得ないであろう。

psykheを邦訳新約聖書では「命」と訳すから、インド思想とはつながらないが、もしもそれをギリシア哲学的な意味に解するならば、そのまま無我説になってしまう。すなわちpsykheもatnanもともに原義は「いき」(呼吸)を意味するのであり、それが転じてともに「自己」を意味しうるに至ったのであるからである。

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