子育て

いい子すぎる子の評価

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誤って「よい子」と評価されたことによる犠牲者。そのような誤った「よい子」の評価は、大人のいうことをよくきく子、おとなしい子、きちっとしている子、まじめな子に向けられています。それが、自発性の発達を抑圧してしまっている。

登校拒否の中で、中学生や高校生になって急に現われる登校拒否は、それまでの生育史の中で、親や先生から「よい子」といってほめられていた子どもたちばかりです。その「よい子」の姿は、実は、「みせかけ」であり「にせ」であったにもかかわらず、親にも先生にもそれを見抜く力がなかった。

また、「反抗」をしながらも、そうした反抗によって周囲にいる人々に迷惑をかけることがあることを体験することによって、少しずつ自制心を強めていくことが大切であって、「反抗」をしないでいうことをよくきく子どもが「よい子」ではない。

本当の適応の能力は

本当の適応の能力は、きちっと自発性の発達に裏づけられていないと、「みせかけ」や「にせもの」になっているのです。反抗しない子が「よい子」ではないつまり、「いたずら」をしながらも、それによって困る人がいることを体験していく過程をたどり、人が困るようなことはしないようにしようという気持が育つことが必要です。ですから、「いたずら」をしない子が「よい子」ではないのです。

子どもの本当の発達は、いたずらをすることもあり、きちっとする面もあり、反抗するときもあり、すなおに従うこともあり、けんかをすることもあり、仲よくすることもあるーといった具合に、ゆれ動きながら、実現されていくものであることを、よく知っている必要があります。

両親や先生は「すなおな子ども」が好きですが、本当の「すなお」は、自分の心の中にある欲求をもちゃんと外に出せる子どもの姿であって、大人のいうことをきちっときく子どもの姿ではないのです。ですから、子どもの扱いには、そのときどきに面倒なことがあり、扱いにくさを伴うものなのです。

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