スポーツブログ

色々な情報を提供しています。

ファッション

アメリカでは数多くの大手企業が反スウェットショップ活動

投稿日:

一九九〇年代半ば、アメリカでは数多くの大手企業が反スウェットショップ活動家に噛み付かれた。そのひとつがジーンズ・メーカーのゲスである。一九九六年、ロサンゼルスに本社を置くこの会社の請負業者五社が、労働者に自宅での縫製作業を行わせているとして摘発された。カリフォルニア州では違法行為だからである。

アメリカにいれば、常に悪評を立てられる危険と隣り合わせである。そこで、この国のメーカー群は、政府や活動団体の目が届かない外国に工場を作るほうが楽だと考えるようになった。なけなしのお金しかもらえないのに毎日毎日私たちの服や靴を作り続けているーそんな状態にある労働者がごまんといることを否定するつもりはない。ビッグ・ネームだからといって違反のほうまでビッグだとは限らない。

カリフォルニアでは時給約五ドルだ

カリフォルニアでは時給約五ドルだ。この移転で、ゲス製品全体のうち、LAで作られる分はわずか三五%となった。つい三年前までは製品の九七%がアメリカ製だったのに。そして、アパレル業界はゴッサム・シティを去った。その後、ゲスと一六の下請業者に対して、最低賃金を守っていないという理由で集団訴訟が起こされ、活動団体が過熱気味の抗議行動を繰り広げることになったのだ。一九九七年一月、ゲスは、製造の四〇%をチリやペルー、メキシコに移すと発表した。そこなら縫製労働者の週給は一〇ドルから四〇ドル程度である。

ニューヨーク・シティほど、アパレル製造業のアメリカ脱出の影響が身に染みて感じられたところはない。一九世紀の終わり頃、既製服の需要が高まり、東欧や南欧からの移民がエリス島に押し寄せるようになると、ニューヨークのアパレル製造業界は活気に溢れた。ここでは、まずコートやスーツが量産されるようになり、それから数十年のうちに、ドレスやシャツブラウス、下着なども工場で生産されるようになった。アメリカの主要な港のひとつであり、ファッションの中心地でもあるニューヨークが、世界のアパレル製造の中枢であり続けたのももっともなことだ。

-ファッション

執筆者:

関連記事

no image

サウス・サルサモーラアパレル工場はスウェットショップではなかった

サウス・サルサモーラ・ストリート・アパレル工場は、どう見てもスウェットショップではなかった。労働者は健康保険にも入れたし、時給一二ドル稼ぐミシン係もいた。労働時間にしても、たまに長くなることはあったけ …

no image

デザイナーのエゴ

ティアニーが綴る。なぜモデルたちは飢えなければならないのか?ファッション界には、服はハンガーのような体に着せたほうが映えるからという模範解答がある。だが、おそらくはデザイナーのエゴもあるはずである。彼 …

no image

虚栄のサイズ表記が生まれた歴史

どうして性別で異なるのだろうう、既製服の登場で、婦人服は攻意的な番号システムで示されるようになりました。おそらく、実寸を他人に知られないようにしたのでしょう。ウィスコンシン州ミルウォーキーのマウント・ …

no image

ニューヨークのアパレルブランド工場は

休憩も取らず(お腹が鳴り、背中痛くなっても)働いたのに、初日に仕上げられたのはたったの五三枚。一日八時間働いても三・七一ドルか稼げなかった。ニューヨークでは、ホットドッグとソーダが買えるか買えないかと …

no image

サイズがぴったりの服や体がきれいに見える服

ウーライト・ファッション・フォーラムがアンケート調査では、ショッピングで最も難しいのは、サイズがぴったりの服や体がきれいに見える服を見つけることだと回答した女性が半数生っている。だが、問題は、私たちの …