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哲学入門

アートマンなる実体には本来唯一性と雑多性とが存在

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シャンカラの伝えているところによると、パルトリプラパンチャはアートマンに関して次のような議論を述べていた。『アートマンなる実体には、本来唯一性(ekatva)と雑多性(nanatva)とが存在する。たとえば牛たちの間には、「牛という実体であること」による同一性と、頸部に垂肉などの諸特性相互の間における区別とが、存在するようなものである。

インドには精神作用の主体を客観的事物と同様に客体的に〈実体〉と解した哲学者たちがいる。ミーマーンサー派はそれであり、またヴェーダーンタ学派においても、たとえばパルトリプラパンチャはこのような思惟傾向が著しい。

あたかも(感覚されうる)粗大なる物の中に同一性と雑多性とが存するように、それと同じく、不可分にして無形態なる実体(虚空など)のうちに同一性と雑多性とが存する、と推知されるべきである。何となれば、(その道理は)すべての場合に例外がないということが、経験されているから。アートマンに関してもまた、それと同様である。

有差別かつ無差別、一面不一

ブラフマンは有差別かつ無差別、一面不一であるという結論が得られるのである。しかしニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派のように、自己(アートマン)を限定された実体と解することは、古代インド思想としては例外であった。そうしてこれらの哲学者たちといえども、やはり精神作用の主体を主体的な「アートマン」と呼んでいる。

見る作用などの相互の別異性(雑多性)と、アートマンとしての同一性とが存在する。この論旨はアーチンダジュニャーチによると次のように要約されうる。『(主張)論題とされたもの(=アートマン)は、有差別かつ無差別(bhinnabhinna)である。(理由)物(vastu)なるが故に。

したがって彼らもそのような呼称を用いた限りにおいてはやはりインド人一般の哲学的通念に従い、それを前提としているのである。かれらが客観的な自然哲学を説いたとしても、それはインド人一般の思惟方法に対して批評的であり、それにさからっていたというだけにとどまる。

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