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哲学入門

アートマン(自我)の存在するということが直観によって知られる

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アートマンが直証されるものであるということは、後世ミーマーンサー学派のうちクマーリラ派の説くところであり、ブラメーカラ派の哲学説との相違点を構成している。

アートマン(自我)の存在するということが直観によって知られるということは、すでに古くヴァイシェーシカ(Vaseka)哲学の主撃したところであるが、初期のヴェーダーンタ学者ウパヴァルシャならびにその学徒が特に強調したものとして知られている。その説によると、アートマンは推論あるいは論証によってその存在の推知され得るものでもなく、また「聖典に説かれているから」という理由で、その存在を信ずべきものでもなくて、万人が自我意識によって直証し得るものなのである。

何人にでも「自分は痛せた」あるいは「自分は認識する」というような自我意識が存在するから、このような意識の成立する基体としてアートマンなるものの存在を、われわれは、容認せざるを得ない。「意識する」という事実が、アートマンの存在を証明しているというのである。

アートマンの存在の証明を手がかりとして

デカルトが主張しているのとほぼ同じ議論が、インドではすでに中世にシャンカラ(八世紀前半)によって述べられている。シャンカラは、アートマンの存在の証明を手がかりとして絶対者(ブラフマン)の存在の内省的証明を述べている。近世西洋における自我の自覚に基づく自我の存在の論証と著しく類似していると言い得る。

かれは『アートマンを否認することはできない』といって、その理由として『何となれば、否認する人その人のアートマンなのであるかと説いている。アートマンはまさにアートマン(自己)であるが故に、それを否認しようとする考えは成立し得ない。

『あらゆる人はアートマン(自己)の存在することを意識する。決して「われは存在しない」とは考えない。実に、もしもアートマンの存在が確定していないのであるならば、一切の人々はここまでの議論は、デカルトの自我の存在の論証を思わせるものがある。

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